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数秘術で偉人をリサーチ 木戸孝允【誕生数⑦ 日本】Research the great with numerology "Kido Takayoshi" 【№⑦ JAPAN】

数秘術で偉人をリサーチ Research the great with numerology

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木戸孝允(前列中央)と伊藤博文(後列右端)ら。明治3年(1870年)撮影。

 

木戸 孝允(きどたかよし) 【誕生数⑦ 日本】

 

 数秘術で偉人を分析シリーズ、7人目は維新三傑のひとり、木戸孝允

 

 山口県萩市藩医 和田昌景の長男として生まれました。

 和田家は毛利元就の七男・天野元政の血を引くという。

 

 そしてその毛利家は、源頼朝鎌倉幕府創建に大きく貢献した大江広元を祖とするという。

 

 木戸孝允公もまた、明治新政府において、西南戦争勃発までの間、中心的役割を務めたが、大江氏の血脈は国家の非常事態時に目覚めるようです。

  

 木戸孝允公の 誕生数は⑦。なお⑦は⑯というカルマナンバーという解釈もできます。加えて生まれ日は⑪日、生まれ月+生まれ日は⑲でカルマナンバー、誕生数を構成する主要なナンバーがマスターナンバーとカルマナンバーだという、

 

 木戸公もやはり、日本の歴史の転換期に大きな使命を持ってこの世に誕生してきた人なのでしょう。ご先祖で同じ使命を持って活躍した人もいますしね。そういう家系なのだと思います。

 

 同じ誕生数の人は同じくらいの年齢の時に人生の転機となるような出来事がやって来るかもしれません。(30才、39才、48才前後)

 

※誕生数は自分の誕生日の年月日を全部足します。一桁になるまで続けて出てきた数字です。 

 

 

木戸孝允(きどたかよし 1833.8.11~1877.5.26)

 

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 誕生数;7】1833.8.11 → 6.1/19.7 & 11

 時代の先を察知し、事が起こる前に勘付く直観力を持っていただろう。人に見えない世界が見えていた。新しいこと最先端なもの革新的なことが大好き。大胆かつ神がかり的なリーダシップを発揮しただろう。その一方状況を冷静に論理的に分析し、いくつもの仮説を立てて、自らの直観と合わせ未来を予測することもできた人だろう。常にインスピレーションが溢れるように湧くとともに、行動は迅速で大胆かつ繊細で革新的、本能のまま行動しながら冷静に自分を顧みることができただろう。

 

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【頂点数と試練数】 36-7=29

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第1期

【頂点数;1/19】 自分を主張し革新的になる。新政府のリーダーとなるべく鍛えられた。

【試練数;6】 責任を担い他者に尽くし人の世話をし育てる。    

 医者の家に生まれるが病弱ということで武家に養子に出される。剣術を学び兵学儒学、漢文など武士として必要な素養を修め最高レベルに達した。吉田松陰からも認められるほどで江戸に出ている間も時代の最先端の知識や技術を学ぶことを怠らなかった。

西洋兵学や小銃術、砲台築造術、造船術、洋式帆船造船術、英語など。第1期の終わる頃には長州藩中枢で頭角を現し始めていた。

  

第2期

【頂点数;8】 現実的な成功の機会がもたらされる。
【試練数;4】 制約の多い現実にも取り組むことになる。 

ちょうど転機の30歳前後は、下関での攘夷戦争や禁門の変とその後の潜伏生活、第一次長州征伐と激動に巻き込まれた。何度も死地に遭遇したことだろう。高杉晋作の挙兵後、藩の権力を奪還すると藩の統率者として迎えられた。以後、軍政改革と藩政改革に邁進した。

32歳の時、薩摩の西郷たちと何度も会談し薩長同盟を結ぶ。第二次長州征伐に勝利、翌年大政奉還となった。新政府においても庶政全般の実質的最終決定責任者となり、数々の開明的な建言と政策実行を率先して行った。頂点数の通り、現実的な成功の機会がもたらされた。

一方、大久保利通との政治的路線の違いがだんだん生じてきて、制約の多い現実にも直面した。そしてちょうど第2期の終わる38歳になったばかりの頃、岩倉使節団全権副使として欧米視察に出ることになった。

 

第3期

【頂点数;9】 学びを統合し世界に恩返しをする時。物質的精神的な富と成熟の感覚。
【試練数;2】 耐え忍ぶ状況は続く。   

40歳になったばかりのタイミングで欧米視察から戻った。39歳からが転機のタイミングだったが丸々外国で過ごした。帰国後は憲法の制定、二院制議会の設置など欧米で見聞してきたことで日本に取り入れることが可能なことを積極的に訴え、国民教育の充実、天皇教育の充実に取り組んだ。

物質的精神的には何不自由なかっただろうが、39歳の時、台湾出兵に抗議して参議を辞職した。

1877年2月、西南戦争勃発。明治天皇と京都まで出張するが持病が悪化し朦朧状態になる。そのまま5月26日、見舞いに来ていた大久保利通の手を握り締め「西郷もいいかげんにしないか」という言葉を発したのを最後に息を引き取った。

奇しくも西郷とは同じ誕生数であるが、維新三傑と呼ばれたこの二人は同じタイミングでこの世を去った。

 

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あとがき

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 木戸公は長男でしたが、病弱で長生きしないと思われていて、7歳でお向かいの武士の家の桂家に末期養子に出されました。病弱とは言うものの生粋の悪童だったようで、船頭ごと船を転覆させて快哉を叫ぶ、とかいう悪戯に熱中していたそうです。なんとおおらかな時代だったのか!? しかし本当に病弱だったんでしょうか?

 

 さすが源義家に兵法を教えた大江匡房鎌倉幕府のブレーンだった大江広元、楠正成に『孫子』や『闘戦経(とうせんきょう)』など兵書を教授した大江時親の流れを受け継ぐだけあり頭脳明晰だったようで、10代の頃、藩主毛利敬親による親試で2度ほど褒賞を受けたそうです。

 その親試の内容とは、即興で漢詩を作ることと、『孟子』の解説だとか。10代で孟子を理解して、それを藩主の殿様に解説する・・・、よく出来たので褒賞までいただく・・・。

 もう神童だったとしか思えないですね。そういうわけで木戸公はこの頃から若き俊英として注目され始めました。

 

 あの吉田松陰からは「事なすの才あり」と評価され、さらに「桂は我の重んずるところなり」と言わしめ、親友関係にありました。

 

 現代なら早熟な天才児といったところですが、木戸公の凄さは、頭脳派というだけではなく、剣術でも当代随一の腕前の持ち主だったことです。さらには柔術の心得もあったといいます。

 

 坂本龍馬も剣術の腕は超一流だったことは有名ですが、木戸公と坂本龍馬は江戸で試合をしていた、という記録が近年見つかりました。それによれば木戸が3対2で勝利してます。恐るべしかな桂小五郎

 文武両道にしてそのレベルはどちらも当時の日の本最高レベルだったのです。たとえるならスポーツ万能なのに成績もいつも一番・・・といったとこでしょうか。

 

 さらにその人となりも、維新前から藩政の権力を握る中心人物であり、維新後も新政府の中心人物であり、若い時には江戸で三大道場のひとつと呼ばれた練兵館神道無念流)で5年間も塾頭を務めあげたほどの達人であったにも関わらず、偉ぶることもなく、威圧的でもなく、気さくで親切で穏やかで陽気で話好きで、だれに対しても誠実だったそうです。

 目下の意見にも耳を傾け、よく部下を引き立てたそうです。剣術の達人でもありましたが何事も平和裏に処理することを好みました。そのためついたあだ名が「逃げの小五郎」なのでしょう。

 

 体格も当時の日本人男性にしては大柄だったようで、174㎝だったという記録が残っていますが、顔だちも西洋人ぽく彫が深く、岩倉使節団で海外を回っていたとき、ヨーロッパのどこの国に行ってもモテモテだったとか。

 

 つまり、木戸公は人間性も能力も、そしてその外見も、非の打ちどころのない完璧な人物だったようです。

 

 しかしながら幕末~維新後の激動の時代を生き抜いた代償として、無理がたたったのでしょう、30代の頃からいろいろな病に侵されてしまいます。特に明治政府は急進派から守旧派まで、絶え間なく権力闘争を繰り広げていて、心身を害するほど精神的苦悩が絶えなかったといいます。

 

 例えるなら木戸公は軍師のようであり、かつ剣豪でもあり、さらには温厚で陽気な社交家で、外見も威風堂々にしてイケメンという、人物的にも魅力的でだれからも慕われたという稀有な人物でした。例えるなら諸葛孔明関羽雲長を足してイケメンにしたような感じでしょうか。

 

 そういうわけで天は二物も三物も、いや持てるだけの能力を木戸公に与えて、維新期の危機のタイミングに、この世に送り出したかのように思えてなりません。

 

 21世紀の木戸公も、そろそろ現れる頃ではないでしょうか・・・?

 

 

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岩倉使節団。左から戸孝允山口尚芳岩倉具視伊藤博文大久保利通

 

 

 

 ※MEMO

 

    A;誕生数

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 ※参照

 

ja.wikipedia.org

 

 

bushoojapan.com

 

 

ktymtskz.my.coocan.jp

 

 

colorfl.net

 

 

www.sankei.com

 

 

 

maneuver.s16.xrea.com